百年後の世界を、
少しでも良くするための
インパクト活動。

クリーンなエネルギーを
作る未来の屋根
モノクローム 梅田優祐

気候変動

2024.05.10

起業家講師:モノクロームCEO  梅田優祐
モデレーター:100年ファンド 村松 竜

やりたいことを探し続けていた大学時代

梅田:こんにちは、モノクロームの梅田です。僕は大学生の時、周りのみんなが好きな活動に取り組み、人生に熱中できるものを持っているのを見て、いつも羨ましいと思っていました。自分がやりたいことは何か、ずっと探していました。サーフィンとかバンドなど、分かりやすいものをいろいろ試してみましたが、どれも大して才能がなくて、じゃあ世界旅行をしたら何か見つかるかもと旅しては何も見つからず帰ってくる、そういう学生時代を過ごしていました。

就職活動の時期になり、感覚的に色々な業界を見られ、鍛えられるのではと、CDIというコンサルティングファームに入りました。2年後にUBSという投資銀行に移りました。このスライドに「奴隷のように働く」と書きましたが、冗談抜きで毎日、夜中まで働いていました。


業務は、たとえばトヨタという会社の財務データを分析したり、その競合と比較をしたり、市場を調べたりするのですが、ネット検索をしたり国会図書館に行ったりしながら、情報の海に溺れている自分がいました。いつも帰宅が遅く、もう何とか早く帰りたい、1分でも早く帰りたいと毎日思っていました。

そこである時、社内のシステム部に「企業のデータベース」を作ることを提案したんです。それを使えば生産性が一気に上がる、みんな早く帰れるようになる、と。でも当然、その提案は「Thanks for the idea」くらいで、相手にしてもらえるようなものではなかったんです。

でも少なくとも僕自身は、そんなシステムがあれば喉から手が出るほど欲しい。おそらく僕以外にもきっと必要としている人がいるから、会社を飛び出して自分でやってみようと思いました。最後の何ヶ月かは、UBSのデスクでそのことばかり考えていました(笑)。

でも当時27歳で、起業している人は周りに誰もいなくて。その時に村松さんをインターネットで見つけたんです。村松さんがちょうどVCを始めたぐらいのタイミングでした。僕のアイデアを書き、話を聞いてくれませんかというメールを送ったんです。

村松: メールなのに、ピッチされているみたいでした。こういうペインがあってこういうのを作ります、こういうビジネスモデルですと、バーンとまとまっていました。この仕事を20年間していますが、いまだに梅田さんのあのメールを超えるものはないというほど名作でした。

自分が決心したことで集まる仲間

梅田:3人で創業しました。この写真の真ん中が僕で、左の白いシャツが稲垣、右が新野です。稲垣は高校の同級生で、1年生の時に名簿が「稲垣」「梅田」と前後で友達になったんです。僕の周りでプログラミングの世界に行った唯一の友人だったので、連絡して僕の構想をぶつけてみたんです。「面白そう。出来るんじゃない」と言ってくれて、「よしやろう!」と、その場では盛り上がったのですが、なかなか決心がつかなかったんです。

稲垣は僕に対して「梅田、お前がやるんだったら俺も考える」、僕は「稲垣、お前がやるんだったら俺も考える」と、2ヶ月間ぐらいお互いがお互いに言い合って、無意味に時間が過ぎていきました。さすがにこれじゃいかんと、2007年の正月に僕が腹を決め、「お前が来なくても、俺はやる」と稲垣にメールを送りました。ドキドキしながら返信を開くと「じゃあ俺もやる」と。そうやってしっかり意思を固めたそれ以降は、どんどん仲間が集まってくれました。結局、最後は自分次第なのだと思いました。

新野はUBS時代の仲間です。退職のアナウンスメントを社内で出した時、新野が「起業するの?俺も一緒にやりたい」とメールをくれて、3人で始めました。これが最初のオフィスの写真です。品川の12畳のマンションで、文字どおり寝食を共にしました。寝袋を敷いて、この炊飯器でご飯を作って。

投資銀行にいた頃、給料は高かったので「牛角の肉なんて、肉じゃねえ」なんて偉そうなこと言っていたのに、辞めて貧乏になると「牛角のカルビって、なんてうまいんだ!」と感じました。毎日時間に追われて、生きている感じがしなかった日々とは違い、起業して貧乏にはなったけど仲間たちと「牛角のカルビ美味いね。今日はごちそうだね」と働く日々がもう本当に楽しく、本当に幸せで、「僕がやりたいことは、これだったのだ」と、やっと分かりました。学生時代、何をやっても続かなかった僕が、その後の十数年間ずっと熱中できたんです。「なんでもっと早く起業しなかったんだろう」と思いました。

でも本当に楽しかったのは最初の数ヶ月で、リーマンショックが起きて、お金がどんどん減っていきました。SPEEDAでやりたかった機能が10だとするとそのうち、無理やり1か1.5にまで削って売り始めました。

まずはコンサルやPEファンドという小さな市場向けに発売したのですが、最初のお客様は全く別業界の食品会社でした。それは新野のお世話になった人が役員をしていた会社でした(笑)。最初は商品を評価して買っていただいたというよりも、同情に訴えて買ってもらうという形で繋いでいました。でも、お客さんの声を聞きながら開発チームが愚直に機能やコンテンツを増やしていくと、少しずつ売れるようになってきました。

NewsPicksを聞いたことある人いますか。・・・嬉しい、半分くらいいますね。まだ伸び代がありますね。ちょうどスマホアプリが世の中に普及してパラダイムシフトが起きた時でした。PC全盛のYahoo!一強だった時代から、スマホが台頭して一気に競争環境が変わった。スタートアップにとってはゴールデンタイムでした。このタイミングを絶対に逃すべきではないと、資金調達をしてニュース事業(NewsPicks)に参入しました。現在Uzabaseは1000人を超える会社になっています。

上場の前と後で変わったこと

Uzabaseの歴史をこの株価のグラフとともにお話しできればと思います。起業する時に避けて通れないのが「時価総額」です。会社のマーケットバリュー(MV)です。Uzabaseが創業したのは2008年で上場したのは2016年なので、8年間は未上場時代がありました。村松さんに出資をしてもらった時の時価総額が3億円でした。業績に伴って会社の価値が上がり、170億円ぐらいで上場をしました。時価総額のピークは1500億円ほどでした。

村松:上場前と後で「景色が変わった」という人が多いですが、梅田さんたちはどうでしたか。

梅田:帳簿上での価値が変わるだけで日々の経営業務も変わらないし「思ったより変わらないな」というのがday1、day2でした。その後時間が経った時に、上場の大きな意味に気づく出来事が2つありました。1つは、銀行からお金を借りる際、未上場の時は金利が5%ぐらいだったのが、上場したら1%で借りられるようになったことです。上場するということはこれだけ会社に信用が付くのだと実感しました。

また会社が名実ともに公(おおやけ)のものになったと実感したのは、株価が下がったりすると株主の方から会社に電話がかかってくるようになった時です。上場すると不特定多数の方々がUzabaseのオーナーになっていきます。株主にはNewsPicksのユーザーもいて、ある時ライブ中継しながら「今からUzabase本社に乗り込む!」と連絡が来て、慌てて警備員を呼ぶということがありました。多くのステークホルダーにUzabaseは支えられ、多くの責任を背負っていることをリアルに実感しました。

NewsPicksが日本でうまくいく中、このメディア事業を世界に広げていきたいという僕の強い情熱もあり、NYにあるクォーツというメディアを買収しました。みんなの反対を押し切ってのことだったのですが、結果としてはうまく行かなかった。クォーツを3年で黒字化させるとコミットしたのが果たせず、結果的には最後は大きな損を出して売却することになってしまい、多くの迷惑をかけました。

突然はじまった第2の人生

起業から13年間、UzabaseのCEOをやっていたのですが、これはひとつの区切りだと思いました。結果を出せなかった責任もありますが、ある意味やりきったというか。それまでの13年間、いつも次から次へとやりたいことやアイディアが勝手に湧き出て来ていました。それが、その時は、以前のように湧き出てくるものがなくなってしまっている自分がいて、そんな状態で会社を引っ張っていくのはよくないという思いもあって、次のメンバーにバトンタッチをしました。

その後、バトンタッチした新経営メンバーの意向で、2022年にカーライルというアメリカのPEファンドがUzabaseを買収して、非上場化しました。

僕はCEOを退任した後も株主としては残っていたのですが、カーライルによる買収時に株主としても離れ、名実ともにUzabaseとは関わりがなくなる形になりました。自分が生んだ子供で、会社を買収する側も、買収される側も経験をしました。最後は本当にあれよあれよと景色が変わり、突然第2の人生が始まっちゃったみたいな形でした。

アイスランドと葉山での経験

第2の人生、まずは家族とゆっくりしようと決めました。毎日子供たちを学校に送って、家に帰ったらネットフリックスを見て、また子供を迎えに行って、一緒にご飯食べて「あぁ幸せだな」と思っていたのです。でも3ヶ月ぐらいしたら「もっと何かやりたい」と思ってきました(笑)。

家族と一緒にアイスランドに旅行に行ったのですが、ここで心に残る出来事がありました。

アイスランドは1年中、氷河がありますが、地元の小学生が毎年、氷河の定点観察をしています。今年はこの位置まで氷河があったと、杭を打って毎年、記録をつけているのです。この写真は2010年、14年前ですね。杭が300mだったところが、2019年には700mまで氷河の位置が下がっている。アイスランドの人たちにとっては、温暖化というのは未来の話ではなく、今そこにある問題なのだと、恥ずかしながら自分にも一気に身近な問題になった経験でした。


アイスランドの氷河の定点観測

アイスランドはみんな電気自動車ですし、地熱発電が発達して再生可能エネルギーも使われていて、自分たちの未来のために、当たり前のこととして行動してるんですね。

僕の家が葉山にあるのですが、この写真は葉山名物のわかめです。波打ち際にもたくさん上がってきて、地元の人たちは拾って家で茹でて食べるというのが日常なのですが、それが取れなくなっています。温暖化でウニが増えてワカメを食べてしまうからです。僕は15年前に葉山に引っ越したので、これをリアルに実感できます。たった15年でこんなに変わってしまうのだから、自分の子供たちが大人になる30年後、40年後は本当に世の中がリアルに変わってしまうだろうと、大きな問題意識を感じるようになりました。

そんな経験もあったので、自分の家を作る時、少なくとも自分たちが使うエネルギーは可能な限り自給自足できる家にしようと思いました。

太陽光の素晴らしさ

なぜ太陽光が素晴らしいのかを先に話したいと思います。まずひとつ目が「ライフサイクル・エミッション」、製造して、その製品を廃棄するまでのCO2の排出量は、太陽光発電は他の電力と比べて優れています。そしてモノクロームの製品は、90%以上はリサイクルできます。耐久年数が来たら捨てるのではない、というのが大きな点の一つです。

2つ目に非常にコストが安い点です。ソーラーパネルは、大量生産技術が確立され低コストなエネルギー手段になっています。

3つ目、僕はこれが一番重要だと思っていますが、太陽光は、唯一、個人単位でアクションできるエネルギーなのです。基本的に電力というのは、国や電力会社に依存しなければなりませんが、唯一、太陽光だけは、自分の意思と行動力さえあれば実装できる再生可能エネルギーなんです。

世界的に太陽光が当たり前になっていっています。特にEUは2030年までに全ての建物への太陽光発電設置の義務化が発表されました。

世界ではユニコーンも誕生しています。たとえばドイツのスタートアップ、Enpal社です。太陽光がコモディティ化すると、いろいろなプレイヤーが有象無象に現れ、中にはよろしくない訪問販売や、詐欺、強引な営業などが社会問題化している中、Enpalは設置や購入プロセスをネットでシンプルに完結できるようにしています。

ドイツの太陽光発電ユニコーン Enpal社

ユーザーとして直面した太陽光の課題

さて、いざ自宅を建てる時に太陽光を取り入れたら、いくつも課題があることに気づきました。ひとつ目が、景観です。

ヨーロッパでは「View Pollution」、景観公害という言葉があります。ソーラーパネルによって、歴史的な美しいヨーロッパの町並みが阻害されてしまうという問題が出てきています。

ある時、淡路島に行ったのですが、山が削られて太陽光だらけになっているのを見て心が痛くなりました。これが子供達に残したい景観なのか、いくら再生可能エネルギーが必要でもこれが正しい世界なのか。少なくとも僕の家では景観に調和する太陽光にしたいと思いました。

2つ目の太陽光の課題は「需給調整ができない」点です。当たり前ですが夜は電気を作らないし、雨の日はすごく少なくなります。電力を作るタイミングと使うタイミングが一致せず、調整できないのが、太陽光の大きな欠点とずっと言われてきました。それを解決する手段として蓄電池やエコキュート(昼間のうちにお湯を沸かし、夜に使う)があるのですが、いざ自分の家でそれを取り入れようとしたら、それらを完璧に制御するソフトウェアがないという問題に直面しました。

また、太陽光を入れると「HEMS」、Home Energy Management Systemという、発電状況や使用状況を見るパネルを家の中につけるのですが、既存の製品は、いつの時代のだ?というUXなんです。IT・ソフトウェアの領域とは違い、ハードウェアの世界はまだ昔ながらの大企業が占拠していて、イノベーションが起きていません。やる余地がめちゃめちゃあるなと、自分がユーザーになって気づきました。

また今の日本の太陽光は、せっかく家の屋根で発電したのに、使わないで電力会社に売ってしまったりします。FIT(再生可能エネルギーの固定価格)制度で政府が高く買ってくれるからです。だから自家消費させるための制御システムが発展してこなかったんです。ちなみにそのFITの原資は、実は皆さんの電気代です。電気代の請求書をよく見ると「再エネ賦課金」というのがあるのですが、それです。「誰の、何のための」太陽光なのかが分かりにくい構造になってしまっています。

太陽光をもっとシンプルに、そしてかっこよくできないのかな、自分の屋根の上で発電して、自分の生活で使う、そういうシンプルなライフスタイルを作れないのかな、と問題意識がどんどん芽生えてきたんです。あわよくば悠々自適に家族と過ごしたいなぐらいに思っていた僕でしたが、こういう問題に直面していくうちに、眠っていたアントレプレナーの血がまた出てきてしまいました。少なくとも僕はユーザーとして困っているから、仲間を集めてもう1回会社を作ろうと、このモノクロームを始めました。


僕は、市場を研究して、ビジネスモデルを考えて、それゆえの資金調達、と戦略的に考えるのが苦手で、いつも起業のモチベーションは「自分自身が1ユーザーとして強烈にそれが欲しい」という気持ちから出発しています。

村松:確かにUzabaseの時もそうでした。モノクロームの事業のご説明をお願いできますか。

梅田:2つの製品を作っています。ルーフワンとホームワンです。この写真はNOT A HOTELが手掛ける北軽井沢の建物ですが、この屋根そのものが太陽光として建物にエネルギーを供給しています。

NOT A HOTEL 北軽井沢

今までの屋根は雨や風をよける役割でしたが「エネルギーを作る」という役割を当たり前にしていきたいと思っています。50年後に「あれ、あなたの屋根はエネルギー作ってないの」という会話が当たり前の世の中にしていきたいと思ってやっています。

この右がホームワンです。皆さんの実家も、壁にインターフォンやお風呂、セキュリティのパネルが複数あったりしませんか。それらを1つのタッチパネルにしたのがホームワンです。

蓄電池やお湯を沸かすエコキュートとも連携します。太陽エネルギーが余っている時にお湯を沸かしておいたり、蓄電池や電気自動車の中にエネルギーを溜めておくことが出来ます。太陽光の欠点である需給調整を解決する商品です。

ライフスタイルの変換に挑戦したい

村松:デザイン性にこだわるのは、NYでの経験が大きかったのですよね。

梅田:テスラに最初に乗った時の経験です。車として純粋にかっこよかった。電気自動車だからテスラを買ったのではなく、非常にクールな車だからテスラを買い、それが電気自動車だった、という経験でした。僕は「かっこ良さ」というのは、ライフスタイル・チェンジを起こす上で非常に重要なエレメントだと思っています。

村松:ビジネスモデルを学ぶのが本講座のひとつの特徴です。梅田さんはUzabaseでもいろんなビジネスモデルを構築されました。今回は全く違う製造業です。

梅田:現時点では、屋根を作って、売って、お金をいただく。製造コストと販売価格の差分が我々の利益で、車を売るのと同じで非常にシンプルです。ですが将来的には、ソフトウェアのプラットフォームにもなり、電力の売買プラットフォームにもなり得ます。いろんな事業モデルを展開できる可能性を内包しています。

ブレイクスルーをとらえ

学生1:モノクロームのインスタや会社のHPを拝見した時、グローバルな方々も多い印象を受けました。意識的にいろいろな感性を入れるようにされたのでしょうか。

梅田:Uzabaseは、すごく同質なメンバーとはじめました。僕と稲垣とは愛知県岡崎市の高校の同級生。あうんの呼吸で出来るので同質なメンバーのゼロイチはやりやすいです。ですが、10から100にしていく時に壁がありました。

同質な組織を多様な組織に変えていくのは思ったよりコストがかかることをUzabaseで経験していたので、モノクロームを始めた時は最初から多様性を大切にしました。最初のゼロイチは大変かもしれないけど、10まで行ってしまえばその後は多様な組織の方が強いと経験的に思っていたからです。

もうひとつは、社会的な問題を真正面から解決する事業をやると、採用はすごくしやすいです。モノクロームでは採用にあまり困ったことがなく、いろんなバックグラウンドを持つ人、特に海外の方たちに応募してもらえ多様なメンバーになっています。

学生2:モノクロームの屋根は、売る相手は個人だけでしょうか。建設会社などには売らないのでしょうか。

梅田:現時点ではユーザーへのダイレクト販売を重視しています。工務店や商社を通すとその都度、10%-20%のマージンが乗っていきます。エンドユーザーから見た時にそれがブラックボックス化しているところがあるので、可能な限り直接ユーザーに販売することに挑戦しています。

学生3:ブレイクスルー、爆発的に普及させる方法を伺いたいです。NewsPicksは、最初は狭い経済のメディアだったものが学生にも使われるようになり、ブレイクスルーされたと思うのです。僕は「有料会員」なのでまんまとハマっています(笑)。今回のモノクロームは、僕自身はまだ買える値段ではないですが、きっと梅田さんはブレイクスルーしていく感性がすごく高いのかなと思っています。最初は自分が欲しいと思ったものが、少しずつ広がっていく。そこに必要なものは何でしょうか。

梅田:めちゃくちゃGood Questionですね・・。やっぱり起業の面白いところ、起業のロマンは、解がないことを日々、仲間と汗水を流しながらやるから、最高に面白いのです。今、着実に広がってはいますが、まだ爆発的なところには行っていません。ただ我々がやっぱりやりたいのは、ライフスタイルの変革なのです。

今までは、新しい家に住む時は東電などから電力を供給してもらうのが当たり前でした。これからは、自分の屋根の上でエネルギーを作って、補助電源として東電と契約する、ということを当たり前にしていきたいです。そのライフスタイルの変革は、どうやったら起こしていけるのか、それはもう走りながら必死に考えるだけです。その走りながら考えるプロセスにこそイノベーションの種があると信じています。


因みにモノクロームのブログをぜひ見てください。製品の説明をほとんどしてないんです。いかにエネルギーを自給自足する、地産地消するライフスタイルが豊かか、ということを伝えていて、それが若いみんなの世代に共感されるか知りたいです。来週のピッチ授業でぜひアイデアをいただきたいです。

学生4:Uzabase創業時に、最初に買ってくれたのは身内だったという話がありましたが、実際のプロダクトに価値を感じて買ってくれるお客様が現れるまでのステップが大事なのだと感じました。そこを乗り越えられたのは、営業のプロフェッショナルがチームに入ったからなのでしょうか。それとも別の要因でしょうか。

梅田:素晴らしい質問です。ちなみに同情を利用して売っていたのが最初の10ヶ月間です。10ヶ月経った時、これは不思議な縁なのですが、営業したカーライルが、初めてちゃんとSPEEDAという製品を評価して買ってくれたのです。じゃあ10ヶ月間は何をやっていたかというと、お客さんが希望する機能を追加し、またひとつ追加して、を愚直に繰り返していたことに尽きます。すると今まで「Yahoo!ファイナンスで十分だよ」と言っていたお客さんが買い始めてくれました。

本当に10ヶ月がクリティカルラインで、そこを超えた瞬間に一気に売れ始めました。村松さんたちも、投資だけでなく一緒に営業してくれました。営業先で厳しい言葉を言われて一緒に凹んで帰ってきたりとか、ありましたよね。

村松:売り歩きましたね。代理店にまでなりました。

梅田:普通VCだったらお金は請求しないのに、村松さんには「本気でやりたいから」って販売手数料を請求されました(笑)。

村松:今聞いて思ったのですけど、カーライルはその時からデューデリをしていたのかもしれませんね、13年間(笑)。

梅田:なりふり構わず、いろんな株主の方やステークホルダーに紹介をお願いしました。同時に愚直な開発と愚直な営業を続けていった。それが唯一のブレイクスルーだったかなと思います。

市場はやりながら大きくなっていく

学生5:どんな人に売るイメージでモノクロームの屋根を作っていったのでしょうか。

梅田:「アーリーアダプター(流行に敏感で新しい商品やサービスをすぐに取り入れる人)」という人たちが必ずいます。NewsPicksも、最初はアーリーアダプターから徐々に広がっていきました。僕もテスラやiPhoneなど、必ず最初に使いたい人です。モノクロームの時もユーザーとして自分が欲しくて、つまりペルソナは僕だったのです。

今、モノクロームの屋根が一番刺さっているのはアトリエ建築家といわれる人たちです。村上春樹ライブラリー(※早稲田大学キャンパスに完成した隈研吾さん設計による国際文学館)のような、デザイン性重視の建築家たちです。そのマーケットでは我々はオンリーワン商品になっています。その市場だけではすごく小さいですが、市場が小さかったとしても僕は絶対にスタートすべきと思いました。

村松:市場やTAMについての梅田さんの考え方をお聞かせいただけますか。

梅田:恥ずかしながら、あまり市場規模は見ていないんです。それよりもまず目の前の人が喜ぶかどうかを重視していて、もしその1人が喜んでくれたら、あと似たような人が2人ぐらい喜んでくれるだろう、とやっていくうちに、いつの間にか広がっていっています。

SPEEDAも、コンサルやPEファンドという小さな市場をターゲットにスタートしましたが、やっていくうちに隣の市場が見えてきて、次は証券会社、その次は事業会社と、市場がどんどん広がっていき、今では100億円以上のビジネスになっています。モノクロームもアトリエ建築家だけでなく今後は一般のハウスメーカーにも広がっていくはずです。

村松:最後の質問です。タイムマシンで学生時代の梅田さんに会いに行けるとしたら、なんと言いますか。

梅田:本田圭佑さんの言葉なんですが、サッカーが上手くなるかならないかは、半分は生まれ持った才能や努力。もう半分は「環境」で、いかに才能があって努力しても、良い環境にいないと人は大成しないと言っていて、僕もすごくその考えに共感します。

僕の最初の職場CDI、UBSは、仕事はブラックでしたがビジネスパーソンとして鍛えられる場としてはすごく良い環境だったのです。そして、一緒に創業した稲垣は、言っちゃ悪いですが何の取り柄もない岡崎の学生で、そして僕自身もそうでした。でも一緒に起業してしまった。そういう環境になって汗水垂らして働いて、今、高校の同級生だった稲垣がUzabaseの社長をやっています。僕が最も尊敬する経営者の1人です。やはり環境の力は間違いなくあるのです。もし今、学生時代の自分に会ったら、自分をストレッチする環境に身を置けと言うと思います。大変そうだ、少し怖いな、と思うぐらいの環境に飛び込んで行け、と言うと思います。


梅田優祐(うめだ・ゆうすけ
Monochrome社 CEO。 横浜国立大学卒業。CDI、UBS証券会社を経て2008年、SPEEDAやNewsPicksを展開するユーザベースを創業しCEOに就任。2016年東証マザースに上場。2020年CEOを退任し、「エネルギーをつくる屋根」と次世代版HEMSを開発するMonochromeを設立。


(これは2024年5月10日に早稲田大学本キャンパスで行われた講座を記事としてまとめたものです。)